棚からぼたん餅

書く人のガス抜き毒抜き殴り書き

言葉の重さ

国会議員の発言に関してあくまで個人的見解とした政党。

個人の意見だから何を言っても良いなどということになれば、

誰もが匿名にしろ、公的にしろ、何をいってもいいということになる。

その言葉の重さを理解しないままに。

対話形式のものではなく、一方的な発信だから余計に性質が悪い気もする。

けれど、それが大人だけではなく、子供もそうであったなら。

人の言葉を聞かず、自分の言葉だけを押し付けるようになる。

怯えて、何も意見が言えなくなってしまう。

それこそ、「生産性」のない世の中になってしまわないだろうか。

自分の意見を発信することは決して悪くはない。

けれども、千差万別、多種多様の受け取る側の人がいて、

喜ぶ人もいれば、もちろん傷つく人もいることを考えなければならないと思う。

公的な立場にあれば尚のこと。

自由だからいいじゃないかではなく、

自由とはある程度の秩序、道徳の上にあって

初めて成立するものであってほしいと願う。

だからこそ、その言葉を発したことについて傷ついた人たちの言葉を無視すること、

個人的見解だからとゴリ押しすることは、実に身勝手なことだと思う。

メディアが報じ方にも問題がある。

切り取った字面だけをみるととても酷いことを言ったんだ、書いたんだと思ってしまう。

読み手側のこちらの読解力を求められる。

なんとなく、理不尽さを感じてしまうのは私だけだろうか。

物語などについてはそれが面白いのであって、

けれど、新聞、ネット報道、SNSはリアルだから、

だからこそ、もっと真摯に言葉を紡がなければいけないのだと、

自分を省みながら思います。