棚からぼたん餅

書く人のガス抜き毒抜き殴り書き

お彼岸ですね。

二代目タブレットを買った浮かれた記事で終わってる(^^;

いかがお過ごしでしょうか。

台風20号からの度重なる被害。

そして9月6日に発生した北海道胆振東部地方地震

被害に遭われた皆様に謹んでお見舞い申し上げるとともに、

亡くなられた皆様の心よりのご冥福をお祈りいたします。

 

北海道地震発生時、私はまだ起きていました。

午前3時。

この日、実は北海道へ従妹の結婚式に出席するために出発する予定でした。

そろそろ仮眠的に寝ないといけないと思っていると、

築40年になる木造建築の我が家、自室はその2階にあるのですが、

東日本大震災以降、ちょっとした揺れでもかなりな大きさに感じる。

珍しく文庫棚の空きスペースにあった小さなフィギュアが倒れたことに

あれー、大きいなぁ、長いなぁと。

そこですぐにツイッターとYahooさんを調べると、

北海道地方で震度6とかいう数字が出てきて、おや?と。

すぐにテレビをつければさすがのN〇Kさんは生中継してました。

午前3時という時間ということもあって、連絡しようか迷いながら、

目が覚めたんではなかろうかと、とりあえず従妹にLINE。

さすがに目が覚めた、びっくりしたけれど大丈夫。

実家も大丈夫だってという言葉にホッとして、寝ている両親を起こすことなく、

私もしばしLINEのやりとりをして就寝。

ところが。

朝、起きてみると母に、起こしてくれたらよかったのにと御叱りを受けて。

すんませんと聞き流しながら、被害の大きさに驚くことになりました。

結論からいえば、結婚式は延期。仕方ないこと。

私たちも荷を解くことになりました。

今、行っても、逆に迷惑になりかねない、と。

流通がストップしているときの人の多さ、出入りの大変さというのは、

東日本大震災の時に、いやというほど、経験しています。

以前にも書いたことがあるかもしれませんが。

あるとき皮膚科の先生と被災地での支援の話になりました。

その医師は医大勤務で東日本大震災時、支援で被災地に入り、

医療とご遺体の身元確認をされていたそうです。

被災地には宿泊する場所がない。

であれば、内陸と沿岸のちょうど中間点であるうちの市の宿を手配しようとすれば、

なぜか予約がいっぱいで無理と。

仕方なく、車で片道100km近くを往復されていたそうです。

確かに市内の旅館やホテル、民宿は満杯であることは聞いたことがありました。

中にはボランティアだとか、上記の医師の様に被災地支援に入られていた方だったと

いうことですが、大半はマスメディアさんだったとか。

被災地に入るのもなかなか大変で、場所によっては許可証がなければ入れず待機、みたいな。

当時、中間地とはいえ、停電もあったし断水もあったし、食品、ガソリン供給もない状態。

なかなかごり押されたという話を聞かないでもなかったのを思い出しました。

よく書きますが。

現状をいかにリアルに伝えるかも大切です。

伝わらなければ、どうしたらよいのかわからないこともありますからね。

でも、です。その医師とも意気投合したのは、

現状の優先順位というものがあると。

ちょっとの譲り合いの気持ちが欲しかったなと、ガタイがいいのに

こけた頬で笑ったその医師の顔がとても印象深く残っています。

今回も同じ映像が繰り返され放送されてました。

まぁ一部では全く関係のない話題でギャーギャーしてましたけれど。

台風21号だってそうです。

一部で話題になっていたメディアの「責める」意味。

所詮、人間は自然の猛威には抗えないほどちっぽけな生き物なのだと、

私は繰り返される恐怖映像をみるだけだったのですがね。

今日のニュースで関西空港が完全再開されたということで、よかった!と。

あの惨状からの復旧はさすが日本だなぁなんて思います。

西日本豪雨からまだまだ復旧、復興には程遠いかもしれません。

それでも、私にできることは少しの支援と、深く深く祈るばかりです。

東日本大震災時。

3日目の昼に妹宅に電気が復旧し、両親と共にお昼ご飯を食べに行きました。

その時食べた炊き立てのごはんを美味しさを一生忘れることはないと思います。

 

踏ん張れ!日本!!