棚からぼたん餅

書く人のガス抜き毒抜き殴り書き

春の嵐

3月入りました。各地では卒業だったり、受験だったり。
年の離れた従妹も今年が高校受験。結果はどうだったのでしょうか。

あれから2年一度に沢山のことが色々ありました。
時間は止められないもの。
歩み続けなければなりません。
まずは今までいただいた優しさに感謝を。
そしてこれからの未来に希望を。

東日本大震災にて犠牲になられた皆様に心よりご冥福をお祈りいたします。

※【お断り】今日の日記は改行していないので読みにくいことこの上ないです。
行政だったりマスメディアだったり。まるで何かを煽るように今日が2年目だと言っておりますが。ここ1週間くらい、ずっと3.11についてテレビで特集されていたりするのと見てきていますが、それが風化させないためのものなのか、ただ単に話題提供のためだけなのか。正直、うんざりといったところもある。世間的に風化されていくのも仕方がない。それだけの時間の経過もあるし、事件とかもある。政治的にしたって、2年前とは違う政党が主権を握っていて、やることが真逆なこともあって、面倒なことになっているのも確か。それになんですか。お隣の国では戦争も辞さない状態になっていたりするけれど、それに対しての対応が遅い。五輪招致も、わりと盛り上がらないのは国民的に醒めているからでないだろうか。というか、招致になって開催が近くなって初めてテンションがあがるような気がする。何せ受身が特に国ですし。むしろ、招致なんて案外どうでも良いのではないだろうか。天気もおかしい。北海道での暴風雪での痛ましい事件は記憶に新しい。北海道ほどではないにしろ、地元でもスリップやらが多発していたし、明日は我が身かもと思うと注意しなければと思う。先週末からずっと20m級の強風で築30年越えの我が家はぐわんぐわん揺れてた。崩れんじゃないだろうかなんて思いながら、そういや小学生のころに強風で物置小屋の屋根がべりっと剥がれていたのを思い出したりね。自然の猛威の前に人とはやはり弱者でしかないなと思うわけです。
3.11東日本大震災より2年という時間が経過しました。経過しただけです。まだまだ現在進行形でなかなか進まない復旧・復興に押しつぶされそうになりながらも、被災地の皆さんは頑張っています。父が当日のことを思い出せないという話をし始めた。当時、内陸にいて自宅のある70km先までどうやって帰ったのか、天候がどうだったのか、寒かったのか、大変だったのか。思い出せない、と。そりゃそうだ。彼は震災発生後、すぐに自分の仕事上で何が支援できるか、何をしなければならないのかばかりを考えていた。仕事仲間で連絡でき得る限りの人々にずっと昼夜関係なしに電話を掛け捲っていたし、足りないガソリンをかき集めて県内中を走り回っていた。正直、自分の仕事場はどうでもよさそうだった。以前にも書いたことがあったかもしれないけれど、うちが被災者だったのは電気が復旧するまでの二日間だけ。電気が復旧後は、父は文字通りあっちこっち、時間と人材とガソリンが手配できれば被災地へと飛んでいた。考えるよりも先に行動ができるというのは素晴らしいなという言葉に尽きます。だからなのか思い出せない云々というのは、ここ1年くらい、父はそんな自分の経験から色々なところで被災動物を通して東日本大震災とはどういうものだったのかと講演する機会が増えていて、色々回顧するうちに漏れた話なのだと思う。私自身もああ、色々と大変だったという言葉しか出てこない。細かいことはかけるかもしれない、言えるかもしれない。でもそれをわかりやすいように要約するとなるとあまりにも沢山のことがありすぎて、できないのが本音です。
ただ一番面倒くさかったのはメディア対応ですかね。どこから聞きつけてきたのか、日付が変わろうとする時間にどこぞのテレビ局のスタッフだかが、自宅電話かけてきて被災地へ入られるなら同行してもいいだろうかなんてのが数件あった。色々奔走して疲弊しているのに、なんちゅう電話だよ!?と思ったのは言うまでもない。
私が地元の病院にかかったときに、診察中にふと世間話になって、そのドクターも直後から被災地に入って検視をしていたという話をされて、宿泊先がなくて困ったという話になった。うちの地元の旅館やら民宿のそのほとんどがメディア関係の人たちだったと聞いて唖然とした。なんだろうなぁと思います。メディアが救うこともあるだろうけれど。私としては腹が立つ話にしかならなかったのを覚えている。

休むことなく、復旧復興は進められていくでしょう。
解決しなければならないことは沢山あります。原発事故はその最たるものでしょう。子供たちの「未来」を奪ってはいけません。
風化などの傾向も被災県でも内陸と沿岸被災地での温度差があるのだから、全国規模となると仕方がないことだと思います。でも忘れてはなりません。日本は大災害に見舞われたときのあの一致団結した感覚、「絆」という言葉で縛り付けていた感は否めませんが(苦笑)それでも相手を思う優しさは素晴らしいですよね!

どうか日本が良い方向へと進みますように心からお祈りいたします。