棚からぼたん餅

書く人のガス抜き毒抜き殴り書き

未曾有

3月11日、稀に見る巨大地震による大震災となりました。
被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対しお悔やみ申し上げます。


この日。盛岡での会議のために父と二人で車に乗っておりました。
緊急エリアメールを受信した直後、進む車が横揺れを始め、ビルの外へと人々が出てくるのを見て車を緊急停車させると、
横揺れ縦揺れ、どちらともつかないようなとても大きな揺れが襲い、今までにないほどに長く感じられました。
一体いつになったら揺れが収まるのか、このままになってしまうのではないだろうか。車がひっくり返ったりはしないだろうか。
とにかく怖くて怖くて仕方ありませんでした。収まっては揺れる、揺れる隙間にふっと合間ができるような感覚ににもなりました。


揺れがどうにか収まったところを見はかり、仕事関係のビルへ向かい始めるとすでに信号機を始めとする電気はシャットダウン。
大混乱とはなりませんでしたが、騒然とし始めて再び大きな余震を感じてラジオ、そしてカーナビのテレビをつけると
大津波警報という聞き慣れない言葉が飛び込んできました。
何度も何度も余震が襲ってきてはガチャガチャとガラスが揺れる嫌な音が響く。
会社や自宅、母や妹たちへの連絡を取ろうとも携帯電話がすでに繋がりにくくなっている。
沿岸ではみなさんがご存知のとおりに津波が予想以上の速さで東北関東の沿岸一体をのみこんでしまうという悲惨な状態となりました。


会議も何もすべてが中止となり、私と父は自宅へと戻ることになるとそこからがまた長かった。
市街地を抜け、沿岸への国道は緊急車両優先となったり、雪が降ってきたり。
携帯は電波が薄いし、ラジオにしろカーナビのテレビにしろ情報があまりにも多いし錯綜していて現状を掴めない。
気持ちを落ち着かせようと何度も深呼吸しつつも、手が強張るばかりでした。
途中、母と妹とそれぞれ電話が繋がり、無事を確認。
会社の書類が散乱したりパソコンやらテレビが落ちたくらいで、物損自体は幸いなことに少なかったと翌朝にわかりました。
私が住む街は内陸と沿岸を結ぶ中間点に位置するのですが、我が家は停電に玄関の窓ガラスが割れていたのと冷蔵庫が倒れ、食器が壊れていました。私の自室はノートパソコンが開くだけ開いて、その真横にテレビが落ちていました。
当たってなくてホッとしました。
でも、その程度だったんです、今思えば。後片付けすれば生活できているんです。
電気が復旧するまで丸二日。懐中電灯とろうそくがあったし、ガスがついたのでとりあえず暖かい物を飲めたし。
何より自宅は無事だったので着の身着のままだったけれど布団にも寝ることができました。


電気が復旧し、親戚、友人や同僚、同業者の安否が確認が入ってくるようになって生活もとりあえずはできるようになって、被災したというところから次は救援する側へ。
市内のガソリンスタンドは緊急車両の給油のみで一般への燃料補給は実質困難となっています。
沿岸への救援物資をという旨が市の対策本部からあって今朝、お米を50kgと靴下数足とカイロを持っていってもらいました。
父は動物救護についての対策本部を立ち上げるべく、己の会社もそこそこに本庁へと走っていったし、私たちスタッフも確認などの電話に終われました。
ライフラインが復旧したら一気に現状に変化がきたような気がします。
ホッとしたのもつかの間、緊張状態は続いている気がしていつか爆発しなければいいなと自分で思いつつ。
知人で安否がわからないという方も多いので不安もあり、だからこそ今は何もかもが頑張らなければという気持ちが先行している感じです。
何ができるのか、お手伝いできるのか。手探りですが、できることをしっかりとやるだけですね。


日本全体が頑張っているんだと思うんです。
被災地はもちろんのこと。被災者のみなさんに、行政の皆さん、岩手県警をはじめとした救援に駆けつけてくださった各県の警察にのみなさんに自衛隊のみなさん。
それを救援しようとしている動きはこちらとしてはとても励ましにもなるし、感謝感謝なのです。
そんな気持ちでいるところに水を差すような発言をするような人に統治を任せたくはないという記事を読みましたが、皆さんはどう思われるでしょうか。やっていることがなんだか極端すぎるようにも見えるのですが…。あんな発言をしたかと思えば、支援額が半端じゃないみたいな。


書きながら頭が混乱していることがよくわかります。
支離滅裂な長文で失礼いたしました。
冷静に、しっかりとした正確な情報を得られるように協力してください。
私も今朝、まったく不正確なチェーンメールを大量に受信しました。
しっかり確認してまわしてください。

一日も早い復旧、復興を願い、穏やかに過ごせる日常が送れますように。