棚からぼたん餅

書く人のガス抜き毒抜き殴り書き

お彼岸の入り

母が無事に帰宅しました。私はお役御免となって兎に角ホッとしております(笑)
こんなことで疲れていたら子育てはおろか、結婚生活に入ったところで早々に破綻しちゃいそうですね。
なんだかそれはそれで自己嫌悪です(;´Д`A ```

母から北海道の実家の現状を聞かされたのですが、なんといいますか、非常に冷たい。
いくら他人でも、相手に対して少しくらいは情が沸くというものだろうと思うのですが
そうでもないようですね。嫁姑の溝の深さはマリアナ海溝より深い。

91歳になる祖母の頑固さと、幼稚さの塊である嫁(私にとっては伯母)の諍いは今に始まったことではないのですが、
91歳相手に、しかも介護がそろそろ必要だという年寄りに対して何も変わらない、変われない伯母の姿勢は
とりあえず許せません、人として
母の別の兄弟の家に移り住むという手もあるのですが、祖父が残した土地と愛する一人息子と暮らしたいという気持ちが先行してふんぎれない。
ならば周囲が説得すれば良いようなものが、結局は口で嫁の“重箱の隅”をつつくだけで何もしない。
遠くに居るからこそその状況がもどかしいし、怒りも沸くし、情けなくもなります。
自分の母親が半ば苦痛の中で生活しているというのに何故、手をあぐねるのでしょうか。
最早理解できません。
もう少し歳が若い祖母であれば、よくやるねーと思えるのかもしれませんが、
91歳ですよ、91歳。
今まで病気もせず、自分のことは自分でやってきた祖母が、腰椎を潰す怪我をして今は歩くのだって痛みを伴う。

なのに医者から直っているはずだといってそれを鵜呑みにした嫁(伯母)が
“お義母さん、治っているのにいちいちそんな(痛そうな)顔しないでください!”とか。
それが原因で祖母は食卓から一人、床に座っての食事を取る羽目になったり。

二人で言い合いをした末に祖母が過呼吸を起こし、慌てて救急車を呼ぶものの、
落ち着いてきたけれどとりあえず病院にいき診察。その後しばらくしてから帰宅したとき伯母に
“仮病なんか使って”と吐き捨てられたり。

なんとも言えない怒りを覚えました。
外科の痛みなんてものは傷が治って残るのは当然。だから今の世の中ペインコントロールが必要で、ペイン外来があるんです。
家族なのに祖母が独り、テーブルからの離れ小島で食事を取るなんて想像するだけで涙が出てくる。
その現状を知っていて母の兄弟たちは何もしない。
救急車事件だって、知っていたのにも関わらず、大変だったねの言葉の最後には、それでも世話になるのだから
嫁さんの意見も少しは聞き入れるべきだ、と。
91歳の老人がそれでも精一杯、意地でも頑張って生きているというのにどうしろというのだろうか。

この話を聞かされて、父も私も帰ったばかりの母を責める形になってしまったのですが、
それは仕方がないことだと思うんです。だって母を生んでくれた人なのだから。
なんで守ろうとしないのだろうか。
一体何のために実家に帰っていたのか。

そもそも家族ってこうじゃないだろ!!とそれこそ実家をはじめとした親戚中に問いただしたいものです。

次に実家に帰ったらそれこそ私自身が我慢が効くかわかりませんσ(^_^;)